花と音楽と沖縄と…

ただ単に、その日見たものを記録してるだけの日記です(^^♪

ニッポン臨終図鑑 #240~#249|#706_マッチポンプの第7波! コロナ禍が終わらない理由

★(10:11)   2022/04/15 12:00


★2022年04月15日(金)
ニッポン臨終図鑑 #240~#249|Dr.和の町医者日記
毎週金曜日の夕刊フジに連載して、5年が経過した。
毎週、毎週、その週に亡くなられた方の訃報を書く。
書かせて頂きながら、いろんな想いが、溢れてくる。
<240~249>ドクター和のニッポン臨終図巻 夕刊フジ 毎週土曜連載


(240)漫画家 水島新司さん
仕事を長続きさせる秘訣は別の何かをやり続けることこちら
(241)俳優 梅沢武生さん 
魂は舞台で死んだも同じ こちら
(242)作家・元東京都知事 石原慎太郎さん
善にも悪にも見える人間臭さこちら
(243) 歌手、俳優 西郷輝彦さん
永遠のアイドルがまた一人...こちら
(244) 芥川賞作家 西村賢太さん
無頼派作家の「理想の死に方」こちら
(245) 作家 西村京太郎さん
根底に15歳の戦争体験こちら
(246) 国内初の女性市長 北村春江さん
平和想う言葉に格別の重みこちら
(247) 俳優 宝田明さん
西行の歌を彷彿とさせる幕引きこちら
(248)映画監督 青山真治さん
思い描く素敵な世界へいけるようこちら
(249)作家 宮崎学さん
遺言で「キレイな社会」に危機感こちら


一番、思うことは、俺みたいな末端町医者が、こんな偉い方々の訃報を書いてもいいのかな。
本当に、申し訳ない。
謝りながら書いてる。
当たり前すぎて恥ずかしいけども、「どんなに偉い人でも死ねば長尾に書かれる」
どういう意味か。
その人が生きているうちは、絶対に書けない、という事。
しかし死ねば、僕のような輩が、勝手に書いてしまう業。
毎回、こうして書く事でバチが当たらないか、と憂う。
でも、幸か不幸か、バチは当たっていない、と思う。
以上が生きている者の掟だったはずだけど、昨今は、生きている人の悪口をSNSで勝手に書ける時代になったのだ。


ウクライナ侵攻の報道には、涙しかない。
お願いだからやめてくれ!、と心の中で叫ぶことしかできないが。
地球の裏側だって、「命」は同じように大切にきまっている。
でも理不尽に命を奪われた方のためには、祈りしかない。
「死んだら終わり」と言いながらも、死後の世界を信じたくなる。
祖国を愛し、祖国のために旅立った人達は、次の世界があるのではないか。
いずれにせよ、「生きているうちが花なのさ」(by宇崎竜童)
それだけは、間違いない。
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(240)漫画家 水島新司さん
 仕事を長続きさせる秘訣は別の何かをやり続けること
『ドカベン』が少年漫画誌に連載開始されたのは昭和47年、僕が中学生のとき。男子は皆、この漫画に夢中になり、(僕は陸上部でしたが)甲子園に強い憧れを持ちました。高校生のとき、甲子園球場でビール売りのバイトをしたのも、もしかしたら『ドカベン』の影響かもしれません。
この人気漫画は、その後アニメになったことで国民的な支持を得て、中学生だった僕が還暦になった2018年まで連載は続きました。その間に、『野球狂の歌』『あぶさん』等の野球漫画も大ヒット、一体どれだけの少年がこの人の作品に影響され、野球選手になったことでしょう。 そんな偉大な漫画家、水島新司さんが1月10日、都内の病院で亡くなりました。享年82。死因は、肺炎との発表です。
2020年の12月に、漫画家引退宣言をされていました。デビューは僕が生まれた年の1958年ですから、なんと63年間も漫画家生活を続けていたことになります。脱帽です。 このところ、僕らの世代にとってレジェンドとも言える漫画家が次々と鬼籍に入られて、寂しさが募ります。昨年の連載でも、『ゴルゴ13』のさいとう・たかをさん(享年84)、『カムイ伝』の白土三平さん(享年89)、一昨年は『釣りキチ三平』の矢口高雄さん(享年81)、『浮浪雲』のジョージ秋山さん(享年77)の死を取り上げました。 以前ある雑誌から「なぜ漫画家には早死の人が多いのか」という取材を受けたことがありますが...こうして振り返ると、そうとは言い切れませんよね。確かに漫画家という職業は、長時間椅子に座って仕事をしなければなりません。定期的に運動をしていても、生活の中で座り過ぎている人は、そうでない人と比較して寿命が短く、肥満度が高く、2型糖尿病や心臓病の疾患率が高いとの報告があります。コロナ禍によりテレワークが増えていますが、東京医科大学の調査では、在宅勤務の人は職場勤務の人に比べ、仕事中に座っている時間が1時間以上長いことがわかりました。
これを読んでドキリとした人は、一日30分でいいです。歩いてください。 しかし、60年以上も第一線で活躍された水島さんは、ずっと大好きな草野球を続けていたそうです。「年間130試合の草野球と、親への仕送り。これを止めたら漫画の方向性を見失うような気がして、絶対に止められないんですよ」とかつてインタビューで語っていたことも。 どんなに仕事が忙しくても、仕事以外の何かをやり続けること。その好循環が、仕事を長続きさせる秘訣かもしれません。
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(241)俳優 梅沢武生さん 
魂は舞台で死んだも同じ
死期が迫っているとわかったとき、どこで人生の最期を迎えたいですか?
昨年、日本財団が67歳~81歳の方を対象に全国意識調査を実施しました。その結果、1位は「自宅」で58.8%、2位は「医療施設」で33.9%。一方、絶対に避けたい場所としては、1位が「子どもの家」で42.2%、2位が「介護施設」で34.4%とのこと。 しかし、もっと自由に答えていいのであれば、皆さんの回答は百人百様のはず。旅行先で死にたい、故郷に帰って死にたいという人もいれば、愛人の家で死にたいと答える人もいるかもしれません。そしてこの人は、「舞台の上で死にたい」と生前、話しておられたそうです。
昭和・平成と大衆演劇を牽引し、梅沢富美男さんの兄としても知られる俳優の梅沢武生さんが1月16日に都内の病院で亡くなられました。享年82。死因は肺炎との発表です。 16日は明治座で梅沢富美男劇団の特別公演中であったことから、千穐楽を迎えてからの正式発表になったといいます。この舞台に武生さんも後見人として名を連ねていました。 ご縁あって梅沢富美男さんにはお世話になっており公演にも何度も足を運びました。数年前の大阪新歌舞伎座の公演には、普段あまりお芝居を観ることのできない、僕の患者さんたちとそのご家族を大勢引き連れて伺ったこともありました。
普段は無表情の認知症のおばあちゃんも、武生・富美男兄弟の妖艶な二人芝居に、みるみるいい表情になっていくのを見て、素晴らしい舞台を前に医療は無力やなあと感じたものです。 ご兄弟二人の息はいつもピッタリで、子どもの頃から何千、何万と舞台に立ってきた人だけが持つ迫力に圧倒されました。梅沢劇団は、剣劇のスター俳優として人気を博した梅沢清と少女歌舞伎出身の竹沢龍千代が結婚し、1939年に設立。 
その翌年の1940年、8人兄弟の長男として、武生さんは誕生しました(富美男さんは第7子です)。生まれてすぐに父の清は戦争へ行き、龍千代は武生を背負いながら、全国をドサ回りし男衆不在のまま芝居を続けたといいます。そんな母の教えは、何があっても舞台に穴を開けないこと。「死ぬなら舞台で死になさい」と兄弟は母に言われて育ちました。 武生さんは最期まで劇団を気にしていたそうで魂は舞台で死んだも同じかと見受けしました。母のもう一つの教えは、「顔で笑って、心で泣いて」
富美男さんは今日も笑顔で舞台に上がっているのでしょう。
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(242)作家・元東京都知事 石原慎太郎さん 
善にも悪にも見える人間臭さ
この人の訃報がテレビに一斉に流れた朝。あるワイドショーには、<憎まれて死にたい>とテロップが躍っていました。しかし、別の番組では、<愛されて死にたい>と書いてある。思わずどっちやねん? と心の中で呟きましたが、この一筋縄でいかない人間臭さというか、善人にも悪人にも見えた多面性が魅力でもあったのでしょう。東京都知事の後任であった猪瀬直樹氏が、「異人、変人、夷人、なによりも偉人です」と追悼されていたのも、言い得て妙でした。 
しかし、過去には聞き捨てならない問題発言も多々ありました。2020年に京都で起きた医師嘱託殺人事件の際、罪を犯した医師を擁護し、ALSのことを「業病」と発言したことは、日々ALSの方々の在宅医療に関わっている僕としては、到底許せるものではありません。一度お会いして討論したかったのに、叶わぬこととなり残念です。 作家の石原慎太郎さんが2月1日に、都内の自宅で逝去。享年89。死因は明かされていませんが、石原さんは3年前に膵臓がんが発覚、一度は寛解したものの、昨年10月に再発、腹膜にがんが転移していたそうです。しかし亡くなる1週間前まで執筆活動を続け、最期は眠るように旅立ったといいます。
この報道を見た僕の患者さんから、「膵臓がんでも石原さんのように穏やかに自宅で逝けるのですか?」と質問をされました。もちろんです。膵臓がん=もっとも怖いがん=苦しい最期、というイメージがあるようですが、そんなことはありません。 確かに膵臓がんは、他のがんに比べて発見しづらく、判明時には既に治療が不可能な状態ということもままありますが、最近は早期発見で完治したり、治療を続けている人も多くいます。 そして、日本人男性の平均寿命は81.64歳。石原さんに早期の膵臓がんが見つかったのが85歳を超えてからですから、がんで亡くなったというよりも、がんがあったけれども、寿命を全うされた、いわゆる「天寿がん」の大往生とお見受けしました。
次男の良純氏が、「亡くなる2週間はすごく辛かったと思う。(中略)自分が前へ前へ進んでいくことだけに執着して生き抜いてきた人だから、肉体が滅びた時に自分の精神もなくなってしまったら、その先はないと。だから、最期の2週間は恐怖心みたいなのが芽生えて...」と語っていたのが印象的でした。どんなに強い人でも、死に向かう時は魂の痛み(スピリチュアル・ペイン)があります。ただただ黙って、寄り添うこと。それが、最後の親孝行なのです。
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(243) 歌手、俳優 西郷輝彦さん
永遠のアイドルがまた一人...
「フラメンコ」という言葉を知ったのは1966年、僕が8歳のとき。その年テレビからは、好きなんだけど~で始まる『星のフラメンコ』という曲が四六時中流れていて、一緒に手拍子を叩いた記憶があります。 稀代のヒットメーカー・浜口庫之助さん作詞作曲の『星のフラメンコ』は発売からわずか2か月で50万枚を突破。この人の代表曲となりました。
歌手で俳優の西郷輝彦さんが、2月20日、都内の病院で死去。享年75。西郷さんは、2011年に前立腺がんと診断され、すぐに全摘手術を受けて一度は完治されたようですが、6年後の2017年に再発。去勢抵抗性前立腺がんのステージ4と診断され、治療を続けていました。「去勢抵抗性~」とは、男性ホルモンを抑える治療をしている状態で進行したという意味です。 前立腺がんは、早期発見できれば完治が可能です。再発しても比較的緩やかな経過のがんです。いずれにせよ、男性は60歳を過ぎたら年に一度PSA検査をすることをお勧めします。
西郷さんは昨年4月、日本で未承認のルテチウムPSMA標的治療という、がん細胞の表面に存在しているタンパク質だけを狙い撃ちする特殊な放射線治療を受けるため、医療ビザを使って渡豪しました。 この治療法は、5年前頃から欧米で注目されている治療ですが、わが国では、承認にはあと数年かかるといわれています。日本は本来、新しい治療法や薬に非常に慎重な国です。 欧米人に有効なものが、遺伝子の違うアジア人に必ずしもそうであるとは限らないので、治験を重ねていくことは非常に大切。しかし、患者さんにとってはもどかしい側面もあります。
西郷さんは、オーストラリアでの様子をYoutubeチャンネルで報告していました。体を張って紹介することで、新しい治療法が一日でも早く日本で承認され、若い人の助けになるようにという想いからだったそうです。 どんな形で治療を終えたかの詳細は不明ですが、西郷さんは9月に帰国。しかし翌月に体調を崩し、都内の病院に入院されました。
亡くなる前日、三女で女優の今川宇宙さんは、西郷さんの耳元にiPadを置き、ビートルズの「Let It Be」を流したそうです。久しぶりの音楽に西郷さんは目を輝かせ、手でリズムをとり、曲が終わると、手の甲にキスをしてくれたと、宇宙さんはSNSで報告しています。お別れのキスまでなんとスターらしいことか! 永遠のアイドルがまた一人、空へと引っ越しました。
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(244) 芥川賞作家 西村賢太さん 
無頼派作家の「理想の死に方」
人間は終末期を迎えて死に至る。しかし、誰しもがそうとは限りません。 終末期の無い死。それが突然死です。WHOの定義では、健康に見える人が急激に(発病後24時間以内)死に至ること、とされています(交通事故や災害などの外因死は含まれず)。
突然死は、総死亡率の2割近くの人に起こるとされています。その約半数は、虚血性疾患などによる心臓突然死です。その他、脳血管疾患や呼吸器不全による場合もあります。 5人に1人に近い割合ですから、決して他人事ではありません。当連載でも、俳優の大杉漣さん(2018年死去、享年66)や、木内みどりさん(2019年死去、享年69)など、毎年何人かの突然死を取り上げています。しかし、今日は自分が死ぬ日かもしれないと考える人が、一体どれほどいるでしょうか。毎日、そんなことを恐れて生きるほうが、よほど心臓に悪いでしょう。
芥川賞作家の西村賢太さんが、2月5日、都内の病院で亡くなりました。享年54。死の前日の夜、タクシーに乗車中に体調を崩し、運転手さんが病院にそのまま運びましたが、すでに心停止。蘇生を試みましたが、生き返ることはありませんでした。 
僕は今まで西村さんの小説を読んだことはありません。ごめんなさい。でも、2月2日の読売新聞に西村さんが書かれた石原慎太郎氏への追悼文を、興味深く読んでいました。 〈石原慎太郎氏の訃報 に接し、虚脱の状態に陥っている(中略) 十代の頃から愛読していた小説家の逝去は、やはり衝撃の度合が違う。これでもう、私が好んだ存命作家は唯の一人もいなくなってしまった〉なんとこの追悼文が、西村さんの遺稿となったそうです。 
相当な酒飲みだったそうですから、もしかしたら、虚脱状態の中で偲び酒を飲み過ぎて体調を悪化させたのかもしれません。そんな西村さんは、「破滅型」とも呼ばれていたようですが、ご本人にとっては、無頼派作家の美学を貫いた「理想の死に方」に近いものだったのではないか。石原氏の追悼文を書いた西村氏の追悼文を、高田文夫さんが週刊ポストに書いていました。
〈桃太郎とキジのごとく、石原慎太郎のお供でちゃんと三途の川も渡ったのだろう〉
この人が死んだなら、俺ももう死んでもいい...そんなふうに思える人がいるのは幸せなことです。しかし、「おいお前、もっと小説を書いてから来いよ」と石原桃太郎に三途の川で叱られているような気もします。
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(245) 作家 西村京太郎さん
根底に15歳の戦争体験
2022年で戦前と戦後が同じ長さになると政治学者の白井聡さんが今年初めに仰っていて胸騒ぎがしました。戦争のリスクは、戦争を知っている人間がこの世にいなくなればなるほど増えていくのだな...ウクライナの、目を疑うような戦闘の映像の合間に流れたこの人の訃報に接し、唇を噛みしめました。
出版された著作は約700冊。戦後、最も売れた作家ともいわれる西村京太郎さんが3月3日に神奈川県湯河原町の病院で亡くなりました。享年91。死因は、肝臓がんとの発表です。
西村さんは昨年末から体調を崩し入院をしていたとのこと。死因は肝臓がんとのことですが、いつがんが見つかり、どんな治療をされていたのかの詳細は発表されていません。  がんの治療は、その進行度やがんの種類によって、推奨できる手術や抗がん剤治療を示した「標準治療」に基づいて行われることは、皆さんもご存じでしょう。
標準治療とは、臨床試験を長年重ねた上で、「その治療がもたらす利益が、副作用などの不利益を上回ること」や「他の治療法より有効性が高いこと」などの科学的根拠が明らかにされた治療法のことをいいます。 しかしこの臨床試験のほとんどは、70歳代前半までの人を対象に実施したものであり、75歳を越えた高齢者には「標準治療」は確立されていないのです。 高齢になるほど、その治療の不利益が利益を上回り、QOLが下がることがわかっています。ですから、どこまで治療を行うかは本人と医師との話し合いがより大切になってきます。
2014年の国立がんセンターの調査によれば、90歳以上でがんが見つかった場合、切除や縮小を目指す積極的な治療は肺がんの6割、胃がんや肝臓がんでも半数では実施していないことがわかっています。近藤誠医師が長年提唱している「がん放置療法」僕は多くの疑問もありますが、超高齢者にとっては正解であると考えます。石原慎太郎氏の訃報の際にも書きましたが、がんがあっても寿命を全うできる「天寿がん」がいくらでもあるからです。西村さんも、肝臓がんというより、天寿がんでの旅立ちかもしれません。
西村さんは五年前『十五歳の戦争 陸軍幼年学校最後の生徒』というタイトルで、ご自身の経験を本にされました。「本土決戦になったら盾となれ」と言われた15歳の少年が見た戦争の愚かしさ、無責任な国家体制...この本は西村さんの遺言です。
戦後を戦前に戻してはならない。戦争を経験した先人たちの真実の言葉を、今こそ読まなければ。
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(246) 国内初の女性市長 北村春江さん
平和想う言葉に格別の重み
去る3月8日は、世界女性デーでしたね。医療界をみると我が国での女性医師の割合は21%。G7諸国での女性医師の割合は軒並み40%前後なので、圧倒的に不均衡なのがわかります。
では、政治の世界ではどうでしょうか。列国議会同盟(IPU)の調査によれば、世界各国の国会議員において女性が占める割合は、平均で25.5%。しかし、日本での比率は9.9%と、193国中166位。これまたG7で断トツの最下位だそうです。この国はオッサンがのさばりすぎなのでしょう...ぜひこの人にアドバイスを頂きたかった。
我が国初の女性市長として知られた、元兵庫県芦屋市長の北村春江さんが、3月13日に西宮市内の病院で亡くなりました。享年93。死因は、誤嚥性肺炎との発表です。昨年5月に脳梗塞で倒れて、闘病をされていたそうです。 脳梗塞は、脳に栄養を送る血管が詰まることにより、麻痺や神経障害などが現れる病気です。以前より減少傾向にありますが、それでも、年間約80万人が発症するといわれています。発症すると6割以上の人に何らかの後遺症が見られます。
高齢になればなるほど、回復は難しく、認知症が進行したり、寝たきりになる場合も珍しくありません。嚥下機能も低下すると唾液の垂れ込みによる誤嚥性肺炎のリスクが高まります。 口から食べることが難しくなると、病院から胃ろうを提案されることがままあります。しかし、胃ろうを造っても誤嚥性肺炎を防げるわけではないことだけは知っておいてください。
北村さんが市長1期目だった1995年に阪神・淡路大震災が起こりました。北村さんの自宅も全壊。震災当時、市立芦屋病院で救護に当たっていた僕は、その姿を目撃しました。箪笥の下敷きとなって骨折した夫を病院に託すと、ご自分は着の身着のまま、市役所に段ボールを敷いて寝泊まりをし救援活動を指揮されていました。 「震災の復興が女性市長に務まるのか」という男性議員の批判には、「市長の仕事に男性も女性も関係がない」と反論。市民の支持を集めて3期まで務め上げたことで、芦屋は災害に強い街として復興しました。
以降、関西地域に比較的女性の市長が多いのは、北村さんが道を拓いたからに他なりません。 軍国少女として教育を受け、空襲を何度も体験したことから、平和運動にも積極的でした。「戦争に一歩でも踏み込んだら、後は泥沼です」
戦争も震災も、両方を経験した女性の言葉は格別の重さを持っていました。
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(247) 俳優 宝田明さん
西行の歌を彷彿とさせる幕引き
尼崎でも桜の蕾が綻び始めました。コロナになる前までは、在宅患者さんとお花見大会をするのが毎年の恒例行事でした。 「桜が咲くまで頑張って生きようね」。患者さんにそんなエールを送ることもあります。花見を目標に元気を取り戻す人もいます。命の終わりが見えると、桜の季節は格別愛おしい。しかし、コロナによって3度目の花見の中止を余儀なくされ、悔しくてたまりません。
『世の中にたえて桜のなかりせば』在原業平の歌をタイトルに、終活を題材にした映画がまもなく公開されると知り、楽しみにしていたのですが、その主演を務めた俳優の宝田明さんが3月14日に都内の病院で死去されました。享年87。死因は誤嚥性肺炎との発表です。
宝田さんは3月10日にこの映画の舞台挨拶に車椅子で登壇。その様子を動画で拝見しました。変わらずダンディで姿勢もいい。ユーモア溢れるトークで会場を沸かせていました。だいぶお痩せになられた印象でしたが、余命3日の人には見えません。
翌11日は、雑誌の取材で3時間以上終活について語られたそうです。しかしその夜、腹痛や発熱などの体調不良を訴えます。12日午前に緊急搬送され肺炎と診断。そのまま入院となりました。この時は会話ができなかったようですが、「いつ退院できるのか」と筆談で周囲に訊いていたそうですから、意識はハッキリしていたのでしょう。しかし13日深夜に容態が急変。日付が変わり、14日の0時30分頃に帰らぬ人となりました。
直前まで元気に活躍されていたため、テレビや新聞には「急逝」と見出しが躍りましたが、では、宝田さんは突然死なのでしょうか? そうではないとお見受けしました。 誤嚥性肺炎には、本人も気が付かないまま進行する、不顕性(ふけんせい)誤嚥という病態があります。 食べ物や唾液を誤嚥しても咳嗽反射(ムセること)が弱いまま気管内に誤嚥物が溜まることで肺炎に至ります。加齢や脳卒中の後遺症、パーキンソン病の人にリスクが高く、老衰の中にある肺炎とも言えるでしょう。
宝田さんは、先の3月11日に受けた雑誌のインタビューで、「自分はまだまだ働かなくてはならない身なので、終活のことはそれほど意識していない」と語っておられました。最期まで第一線で仕事をされ、死の予感も、延命治療もなく、桜が風に舞うようにして旅立たれた。
願わくは花の下にて春死なん。
西行の歌を彷彿とさせるようなほれぼれする人生の幕引きです。
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(248)映画監督 青山真治さん
思い描く素敵な世界へいけるよう
最初に観た作品は、『EUREKA ユリイカ』でした。多くの乗客が殺されたバスジャック事件から生き残った人間の生きていく痛みを描いた傑作でした。その後『月の砂漠』『共喰い』など、いくつか作品を拝見しましたが、どれもヒリヒリするような痛みを伴う作品でした。これからも良作を拝見できると思っていたので、こんなに早く旅立たれてしまうとは残念です。
映画監督で作家の青山真治さんが、3月21日に都内の病院で亡くなりました。享年57。死因は頸部食道がんとの発表です。
青山さんに食道がんが見つかったのは昨年春のこと。手術は行わず、通院で治療を続けていたといいます。新作映画の準備をされていたようですが、今年に入って体調が悪化し、数週間前から入院をされたとのこと。
我が国で、食道がんと診断されるのは60 歳以上の人が7割、男女比は5対1と圧倒的に男性に多いがんです。毎年25000人前後の人が食道がんになりますが、頸部食道がんは、食道がん全体のわずか5パーセントと、稀ながんでもあります。 頸部食道とは、喉ぼとけのすぐ下あたりから胸骨の上まで、5センチほどの部位をいいます。咽頭と繋がっているため、がんの大きさや場所によっては、咽頭ごと切除手術することも多く、術後、声が出せなくなり、嚥下障害を引き起こすなど著しくQOLが下がります。そのため、近年は手術ではなく、抗がん剤と放射線治療を選択する人も増えています。
他の消化器がんである胃がんや大腸がんに比べてリンパ節や他臓器に転移しやすいため、早期発見がなにより重要なのですが、初期症状がほとんど見られない、悩ましいがんです。 ものを飲み込む時に違和感がある、咳や血痰が増えた、声がかすれるなどの自覚症状がある場合は、すでに進行している可能性があります。ただちに病院で検査をしてください。
青山さんの妻であり、女優のとよた真帆さんは、以下のコメントを発表しています。 <病院から容体が急変したとの連絡を受け駆けつけ、 声をかけましたら私の目を見て2回頷き、 手をぎゅっと握り返してくれました。 それから半日、最後は眠るように静かに息をひきとりました。結婚して20年、優しくて勉強家だった夫にもらった時間、愛情に深く深く感謝しています。 今は青山真治の魂が、自身の思い描く素敵な世界にいけるよう強く願っています>
生きる痛みを描き続けた監督の最期が痛くない死に方だったことに、少しだけ安堵しました。
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(249)作家 宮崎学さん
遺言で「キレイな社会」に危機感
「あのキツネ目のオッサン、亡くなったんか」と往診先の御宅で流れていたテレビを見て呟いたら、新人のナースにポカンとされましたグリコ森永事件を知らないそうです。この昭和史に残る未解決事件で指名手配された「キツネ目の男」に似ていたことから注目を集め、日本社会の表と裏を書き続けた作家の宮崎学さんが群馬県内の高齢者施設で亡くなりました。享年76。死因は老衰との発表です。
歳をとって徐々に食べる量が減り、枯れるように終わる自然な死を老衰死と診断しています。明確な定義はありません。そのため、「老衰は病名でないから、死亡診断書に書いてはならぬ」と僕らの世代は教わりました。どんなに穏やかな死であっても、「多臓器不全」「心疾患」等の病名を書けと。しかし今や、がん、心疾患に続いて老衰死は日本人の死因第3位。老衰死=大往生という理解が、日本人に根付いてきた証左でしょう。 しかし、読者の皆さんは疑問に思われたはず。
76歳で老衰?早すぎないか、と。確かに、老衰は80代以降、平均寿命を超えたあたりから見られる兆候です。しかし、70代であっても「老衰死としか言えない死」があるのは事実です。 生物学者の本川達雄さんが書いた『ゾウの時間・ネズミの時間』という名著があります。自然界の哺乳類は心臓が15億回脈打つと死ぬことがわかっています。ハツカネズミは2~3年で15億回、ゾウは70年で15億回。つまり動物によって時間の流れ方は様々で時間の感覚も違うという話です。僕は、人間の中でも同じこと言えるのではないか、と考えます。
1日24時間という物理的な基準とは別に、個別的な時間感覚があって、それは一人一人異なるのではないかと。 だから時々、宮崎さんのように人生を生き急ぐ人も出てきます。宮崎さんの最期の著書はその名も『突破者の遺言』。一部抜粋して紹介させてください。
〈世界中がコロナ騒ぎだ/コロナショックというよりコロナヒステリーだ/だが癪に障るのは、今回のヒステリーがヒューマニズムで偽装されていることだ/ヒューマニズムは行き過ぎるとファシズムになる。清く正しく美しい善良な人間だけが「まともな国民」で、それ以外は「非国民」だという同調圧力が始まる。コロナヒステリーを機に、健康的にも衛生的にも「キレイな社会」を求める傾向は強まるだろう〉
ヒューマニズムで偽装された社会を拒むようにして、宮崎さんは旅立ちました。
その気持ちが、今、痛いほどわかります。
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PS)
#705_「コロナは空気感染する!」国立感染研究所さん… 今さらですか? 長尾和宏コロナチャンネル - ニコニコ動画
明日は、博多。
いろんな人と会えるのが楽しみ。