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ただ単に、その日見たものを記録してるだけの日記です(^^♪

病院爆撃で有名になったあの女性の衝撃的な告発【動画】:ゼレンスキーの顧問の失言

注:詳細はリンク先でご覧ください(^-^;
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★NEW!2022-04-02 21:31:34

…さらにこの女性の告発からは、マリウポリでの状況の経緯、その他の重要で重要な情報が明らかにされています。…

Marianna Vyshemirskaya’s story - What really happened at the maternity hospital - Mariupol, Ukraine.
マリアンナさん:
「私の名前はマリアンナ・ビシェミルスカヤ(Maryanna Vyshemirskaya)です。戦争が始まる前は、私はドネツクのマケエフカ(Makeevka)というところに住んでいて、そこで夫と出会い結婚し、マリウポリに暮らしていました。

…2020年にはマリウポリに住んでいました。境界線は閉鎖されていました。ほとんどの人は、あまり深刻ではない、何かが起こるだろうと考えていました。それでも、まあなんとか大丈夫だろうと。
そしてすべて(訳注:ウクライナ軍による市民への攻撃や抑圧など)は激しさを増してきて、住民はパニックになり始めましたが、そこから離れることもできませんでした。私たちは出ることを認められなかったのです。
私の夫の友達は、Zaporozhyeから脱出しようとしましたが、道路に仕掛けられていた地雷で爆破されました。
3月2日、彼ら(ウクライナ政府)は水道と電気を完全に止めました。ガスも数日後には止められました。3月6日、私の出産日が近づいてきたので病院に行くことに決めました。…


…なんとか病院に入院することができました。他に行くところはありませんでした。他の二つの病院からは入院を断られたからです。
しかしその後まもなく、彼らは職員に対し、施設内から出ていくように告げました。職員らは私たちに、軍部が来てここ(病院)を拠点にするから出ていくように言いました。その病院には、小型の太陽発電機があるからだということでした。
出産を控えた妊婦たちは、まだ占拠されていなかった場所にまで追いやられました。新生児の医療処置用(Ecomo、人工肺)のためだけに使われていた発電機は、彼らが管理していました。
入院女性の夫たちは、病院の地下室に滞在・生活していました。男性たちは屋外に調理場を作り、近所の人たちが食べ物をもちこんでくれました。それでなんとか妊婦のための料理を作っていたのです。
軍部は何も手伝ってくれませんでした。一度、食べ物を求めてきたくらいです。
この食事は妊婦のための食べ物だと告げると、彼ら(軍部)は5日間も食べていないと言い、他にもっと食べる物が見つかるだろうと言って食べ物を取り上げました
3月9日までは全く静かなものでした。その日までは、私たちもぐっすり眠ることができたのです。
出産について話し合っていた時、爆撃の音が聞こえました。とっさに私は毛布をかぶりました。
その後、爆撃の第二弾が聞こえ、窓が割れ、私の鼻や口、おでこに飛んできました。(泣き声になる)
それほど深刻な怪我でもありませんでしたが、おでこの切り傷からは血が出て、目や頬に流れてきました。
2発目の爆撃の後、私たちは地下のシェルターに避難しました。そこで、空襲があったのだろうかと気になり始めました。しかし戦闘機の音は聞こえなかったので、空襲ではなかったことがわかりました。
彼らも戦闘機の音は聞こえなかったとし、あれは破裂弾だったと言っていました。2回聞こえた後、それ以上の爆音は聞こえませんでした。
私たちがシェルターに来て5~10分間経った時、ウクライナ軍兵士が来て私たちを避難させる、と言いました。
重傷ではなかった私は、最後に出ていきました。彼らは私の傷は縫う必要がなく、血が止まったら自然に治る、と言いました。
私は立ち上がって15分ほど辺りを観察していました。窓を覗くと兵士の姿が視えました。彼の手にはふわふわした何かを持っていて、撮影しているのだとわかりました。
私は彼に、そういう気分じゃないから撮影しないで欲しいと言いました。どこかに取り上げられるなんて嫌だったからです。そういうタイミングでもありませんでしたし、ここで見られたくありませんでした。
最初、彼はわかったと言ってその場を離れました。しかしその後、私たちが地下室から離れようとしたときに、一回には同じレポーターが居て、また、私を撮影し始めたのです。
他の人たちも抗議しましたが、彼はそれを無視して、しばらくしてから去っていきました。
夫はその人たちをもっとよく見ていて、あれはAP通信社の人間だったと言っていました。ロシア語を話していたと言います。
その人たちはヘルメットをかぶっていて、胸元には文字が書かれていましたが、正直、私はその時、そこまで気がついていませんでしたが、夫は見ていました。
彼ら(報道陣)は最初からそこに待機していました。安全な場所に移った後、その写真を見た時に、何が起きたのか理解しました。
タンカで運ばれていた少女を指して、あれが私だとされていましたが、あれは私ではありません。重体だったため、最初に運び出された少女でした。…

…彼女は最初に運ばれましたが、その後亡くなっています。(泣き声になりながら)
彼女の怪我が一番ひどく、別の病院に運ばれましたが、彼女も赤ちゃんも生き残れませんでした。彼女の夫は、膝をついて泣いていました。彼は家族全員を失ったのですから・・・
あの運ばれている妊婦は私ではなく、その少女でした。私は服を着替えてなどいませんでしたから。
報道陣はもうそこに居て、最初から待っていたのだと思います。(爆音の後)2~3分後には地下シェルターに入ってきましたし。10分ほどそこに居て、合計で12分ほど居たのでしょうか。…

少女がタンカで運ばれた時、カメラマンたちはすでにそこで待機していました。
私は別の病院に連れていかれ、そこで帝王切開を受けました。
次の日、彼らがまた来ました。同じ人たちだったのでわかりました。…


…誰が、どこで、何をしたのか、と聞いてきたので、私はすべてを答えました。
彼ら(報道陣)は、あれは空襲だったと言いました。私は空襲はなかった、と返しました。
外にいた人たちでさえ、爆風の音は聞こえなかったと言っていましたから。
今、やっと安全な環境に来ることができ、私のインタビューや写真を見たのです・・・
でも、内容は私が話したこととはまったく違っていました!他の事全部がわかっているのに、どうしてあれ(訳注:空襲ではなかったこと)がわからなかったというのでしょう。
(動画終了)…
(以下、略(^-^;  続きはリンク先でどうぞ)
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信じられないようなことが、人類の勇敢な英雄によって明らかにされた。ウド・ウルフコッテはヨーロッパ最大の新聞の一つであるフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングの編集者であった。数年前、彼は世界に向けて、世界中のジャーナリストはCIA、秘密結社、政府、億万長者などから金をもらっており、常に嘘をつき、決して真実を国民に伝えないことを告白したのです。