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ただ単に、その日見たものを記録してるだけの日記です(^^♪

「分からない」からこそ面白い|#693_治験中の興和さんに僕はイベル〇〇を提案したい!

★(8:08)   2022/04/02 12:00


★2022年04月02日(土)
「分からない」からこそ面白い|Dr.和の町医者日記
奇麗すぎる数字を見たら、「嘘」を疑え。
「分からない」からこそ面白いのが科学。
独善的な思考しかできなくて御免なさい。
以下、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」213号(2022年4月1日)からの引用である。
「時々、数字はキレイすぎて、信じられない」
(Sometimes the numbers are simply too tidy to be believed. Fishy covid -19 data. The Economist February 26th 2022, p.77.各国のコロナ死亡者数発表で、ロシア等一部の国の毎日の人口100万人当たり死亡者数がほとんど変わらないことを指して、数字が操作されている可能性を示唆した)。
二木コメント
実験や調査の結果がキレイすぎる時は、先ずその信憑性を疑うのが「批判的吟味」の常識です。最近では、『薬のチェック』100号(2022年3月)の「COVID-19 用剤モルヌピラビル 入院半減は本当か?」が、「良すぎる結果はデータ操作による可能性」を指摘しています(46-48頁)。少し古い例では、高血圧治療薬ディオバンの前代未聞の臨床研究不正が疑われた契機の1つは、欧州心臓病学会で、フランク・ラスチスカ博士が同薬の「素晴らしい結果は、本当にしては良すぎる」(Thesese wonderful results were alomost too good to be true)とコメントしたことでした(桑原巌『赤い罠 ディオパン臨床研究不正事件』日本医事新報社,2016,23頁。本「ニューズレター」149号(2016年12月)で紹介)。


上出洋介(名古屋大学名誉教授・オーロラ研究者。2021年12月死去、78歳)
「観光客には悪いですが、オーロラ予測が外れると、心の中でニタッと笑うんです。当たらないのは未解明の問題がある証拠。一つの謎を解くと、10の疑問が浮かぶ」
(「毎日新聞」2022年2月7日朝刊、「悼む」)。
永田和宏(京都大学名誉教授、世界的細胞生物学者&歌人。74歳)
「分からない部分があるからこそ、『知りたい』という欲求が湧くのである。『わからない』という時間にどれだけ耐えられるか、その耐えている時間こそが、<知へのリスペクト>を醸成する時間なのである。どれくらい自分の中で問いや疑問を維持し続けられるか。この『わからない』時間に耐え、しかもそれを楽しむという習慣を、私たちはもっと大切にすべきだし、若い読者はぜみ今から心して欲しいと思う」。
「ああでもない、こうでもないと考えられる限りの試行錯誤を繰り返していくそのプロセスの中にこそサイエンスの喜びはあるのであり、それを欠いた結果は、いかにいい結果を得ても自分で成し遂げたという達成感からは遠いものにならざるを得ない」
(大隈良典・永田和宏『未来の科学者たちへ』角川書店,2021,88-89,105頁)。
二木コメント
お二人の言葉は「わからない」ことを見つけ、それに粘り強く取り組むことの必要性・重要性を示していると思います。


永田和宏「科学者のいちばんの喜びの一つがディスカッション(議論)だと思う。
ディスカッションに喜びを見いだせないなら、科学者になっても意味がないとさえ思っているのです...。ディスカッションのおもしろいところは、『あなたはそう言うけど、こういう考え方もあるよ』という、別の考え方を示すところだと思う。『そんな考えもあったのか』と気付かされるんです」。「質問を受けるというのは、実は受ける側にも大きな学びのチャンスなのである。自分の用意した答えに、もし反論されたり、納得してもらえなかったりしたとき、教師は一方的に知識を伝授するという役割から、学生とともに考えるという態度に変わらざるを得ない。
一つの見方しかしていなかった問題に、別の見方もあることを意識したり、別のロジックからの説得を試みたりする。こんなとき嫌でも複数の視点を意識せざるを得ず、教師冥利とも言うべき瞬間である。質問は、質問をする方に利益が還元されるだけでなく、受ける側にも同じだけの利がある」(『未来の科学者たちへ』13,155頁)。
二木コメント
ディスカッション(議論)の根本的意義を突いていると思います。私も拙著の合評会等で、若い研究者から鋭い質問を受けて、それに答えるためにいろいろ調べたり考えたりして、新しい論文を書いたことが少なくありません。
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僕に
「エビデンスを示せ!」とか
「論文を書け」とか
「○○の動画を観ろ!」とか
「○○氏に教えてもらえ!」など
勝手な注文をネットにたくさん書き込む人が毎日、いる。
僕は内心、こう思う。
「そうやな・・・」
「あかんなあ・・・」
「でも、そんな能力も時間もエネルギーもないしなあ・・」
もう止めておこうかなあ。
長いものに巻かれておこうか。
そうすれば、誰からも攻撃されず、平凡な日々を安心して送れるしなあ。
ああ、夜の街で好きな歌を歌って、騒いでいる同業者が羨ましい。
僕は町医者で目の前の患者を診ることに24時間365日を捧げている身、である。
それを言い訳にしてはいけないことは分かっているけど誰か、代わりに論文を書いてくれる研究者はいませんか?
資料や思考は、僕のクリニックと頭の中の膨大にあります。
そもそも論文を超える内容をここに書いて、動画でも伝えているけど。
でも、論文の中に「未来」はない。
論文の中身は常に「過去」である。
それは未来につながる事実を後世に残す「資料」となる。
僕も昔は論文を書いていた。英語でも。
でも、今、そんな時間も情熱もない。
人生は短い。
論文を書く前に「思索」や「議論」を深めたい。
しかし、雑用が多すぎて「思索」を深めるには、不利というか無理。
また言論封殺の国では、「議論」を深めることは許されていないし。
やっぱり、長いものに巻かれておこうか。
でも、この2年間、「分からないこと」だらけ。
だから「面白い」という気持ちもどこかに秘めながら。
人間が明かにできることは自然の中の、ごく一部。
PS)
#692_各都道府県に「相談窓口」ができるけど、その後はどうなるの? 長尾和宏コロナチャンネル - ニコニコ動画
この件について、今夜も3時間、全国の医師や有志の方々とZOOM会議していた。
世の中、捨てたものじゃない。
会議の内容が患者さんのために実現する日が必ず来る。