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ただ単に、その日見たものを記録してるだけの日記です(^^♪

#688_自粛を続ける限り、「コロナ禍自殺」は増加する 長尾和宏コロナチャンネル

★(11:08)   2022/03/28 12:00


  ★2022年03月28日(月)
逃げる|Dr.和の町医者日記


ワクチンでも後遺症でもウクライナでも、ない。
在宅医療において危険を感じた時は、在宅医や看護師やケアマネや介護職は逃げるべきである。
昨日も在宅を回った後、「オセロプロジェクト」でお借りしていた作業部屋の賃貸料を支払いに行き、お世話になった方々を接待した。
酔っ払って家に帰ったら、NHKで「ボヘミアンラブソデイ」をやっていた。
何年か前に一度観て感動したが、再びTVで観たら、また違う感動があった。
なんで今、この映画を放映するの?
勝手に想像した。
何か意図がある?
桜が満開の場所もある。
ボーっと、眺めている。
マスクを外したい。
この桜と共に第六波もコロナ騒ぎも終焉にしたい。
ところで、27年間、在宅をやってきて、ずっと心から離れない事件がある。
1月に埼玉県ふじみの市で、若き在宅医が散弾銃で撃たれ亡くなられた報道。
日本医事新報3月号の連載は、「若き在宅医を悼む」で書いてみた。→こちら


ワクチン推進派だけでなく、反ワク・プーチン推しの人からの口撃がスゴイ。
正直、何を言ってもどこかからか必ず「袋叩き」に逢うので、やりきれない。
「逃げる」ことも大切、だと思う。
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日本医事新報2022年3月号   若き在宅医の死を悼む     長尾和宏


命の危険を感じたトラブル
埼玉県ふじみ野市で、在宅医療に尽力していた医師が利用者の家族に殺害された。この事件は、在宅医療にかかわる医療関係者にとって大変ショッキングな出来事だ。今回、同じく在宅医療に27年間携わってきた一人として若き在宅医の死を悼み、この事件をどう受け止めるべきか考えたい。というのも筆者自身も27年間に同じような目にあったことが何度かあるからだ。在宅医療における子供とのトラブルは決して稀ではなく、時々あることだ。恥を忍んで苦い経験を少しご紹介したい。


一番、命の危険を感じたのは30代の息子さんに胸ぐらをつかみ締め付けられた時だ。末期がんで痛みが増した70代の患者さんを診察した時に本人に「これからしっかり痛みを和らげていく緩和ケアを行いますね」と言った瞬間、息子さんに胸倉を強くつかまれて廊下に連れ出された。「お前、今、親父に緩和ケアと言っただろう。緩和ケアという言葉は死を意味する言葉だ。親父がショックを受けるだろう。土下座して謝れ!」というようなことを言われた。正直、命の危険を感じたので反撃しようと思ったが、ここで反撃したら命に関わると思い、なされるがままにしていたら、3分後くらいに息子さんの締め付けが解けてホッとした。ことの詳細は、「抗がん剤10のやめどき」(ブックマン社)という本に書いた。


緩和ケア=死の宣告」と認識している人が少なからずいることをその時は知らなかった。同様に、「医療用麻薬」とか「モルヒネ」とか「ホスピス」という言葉を患者さんへの説明の中で使ったばかりに、家族から強いクレームを受けたり、主治医を交代させられたこともあった。常に言葉には気をつけているつもりだし、できるだけ分かり易く説明するつもりでいても受け取る相手が真逆に捉える時もある。自分のコミュニケーションスキルが劣るだけなのだろうが、「緩和ケア」とか「麻薬」という言葉を使う時には内心ドキドキしながら使うべきだ。日本緩和医療学会は「早期からの緩和ケア」を謳っているが、そう認識していない市民はいくらでもいる。


平穏死に心マやAED?
呼吸停止しています」と訪問看護師から電話連絡を受けたのが午前7時前。廃用症候群で数年間、在宅医療で診た先にある予期された老衰死であった。主治医は病状や看取りの説明をちゃんとしていた、はずだった。ところが訪問看護師の様子がなにやらおかしい。家族が入れ替わり電話に出て筆者に大声で怒鳴り始めた。「人が死んだのにお前は心臓マッサージもしに来ないのか。医者なら心臓マッサージやAEDくらいするだろう。それでも医者か!」と家族全員の怒りは止まらない。


「老衰での在宅お看取りの場合、心臓マッサージやAEDはしないもので・・」と言った瞬間、さらに激高されたので黙って聞くしかなかった。別の医師に看取り往診をお願いしたが、その後もまた凄い勢いで電話がかかってきた。「今すぐ、お前がここに来て土下座しろ!」「なんでお前が謝りに来ないんだ!」「人が死んだら心臓マッサージだろう」「お前は医者をやめろ」と。10分程度、家族が入れ替わり立ち替わりで叫び続けた。電話口でも命の危険を感じたので、咄嗟に「今日はちょと体調が悪いもので・・・」と言い訳をしたら、その瞬間に相手の口撃が止まった。一瞬、沈黙になり「熱があるんやったら来んでええわ」に変わった。実は罵声が怖くて未だに謝りに行けていない。


廃用症候群で1年近く在宅医療で関わった90代後半の女性のケース。傾眠傾向で食事もほとんど食べなくなったので、いよいよ看取り期に入ったと判断した。そこで身内数人を集めて、お看取りの話をした。しかし運悪く(?)、その前日に殺人罪で長年刑務所に服役していた長男が出所して僕の話を目の前でじーっと聞いていた。「仮に息が止まった時に救急車を呼んだら・・」と説明している最中に、その長男が大声をあげ、なんと派手に「ちゃぶ台返し」をした。ガラスが粉々に割れた。「なんで人が死ぬのになんもせーへんねん。お前はそれでも医者かー!」と暴れ出した。長男だけが母親の死を受け入れられないのは他の家族は全員分かっていた。しかし長男は実際に殺人歴がある人なので僕は命の危険を感じながら家を出た。果たしてその3日後に息を引き取られた時に自分が行っても大丈夫か、正直に言うと殺されないかドキドキしながら部屋に入った。淡々と死亡診断書を書いたが長男はすすり泣くだけで今度は何も言わなかった。長い経過がある老衰の平穏死であっても、死を受け入れられない家族は実際にいくらでもいる。


8050問題の根は深い
いわゆる8050問題ないし9060問題に遭遇することは稀ではない。寝たきりの親の年金だけで暮らしている子供は親の延命措置を強く望むことが多い。親の死を受け入れないだけでなく、経済的理由も大きい。 実際、寝たきりの親が老衰で衰弱した時に「親が死んで年金が無くなったら生きていけないから、本人の意思を無視して胃ろうか点滴をしろ。もししないとぶっ殺すからな」と子供から暴言や脅迫を受けたことがある。90代の寝たきりで老衰の患者さんのケースでは、ケアマネにケア会議を依頼し人生会議を繰り返した。紹介元の病院のケースワーカーにも相談した。


しかし実効性のある対応策を見いだせず追い込まれた。虐待のように感じたので役所への相談も考えたが報復が怖くてできなかった。結局、子供の希望に従い病院に胃ろう造設を依頼した。しかし退院後の在宅主治医は辞退した。このような事例においては主治医を降りて別の医療機関に交代するようにしている。8050問題における事件を避けるためには応召義務は適応されないと考える。親子関係が悪い家庭のやりづらさ、社会性の欠けた引きこもりの子どもとのコミュニケーションなど課題山積で、綺麗ごとでは済まされない。


今回の事件を契機に在宅医療の各関係団体がリスク管理を議論しはじめた。市町村医師会や行政が主導する地域ケア会議などで対応策を話し合い、その結果は市民にも啓発すべきだ。大きな視野では日本人の死生観の啓発やリビングウイルの啓発も必須だ。8050問題の根は深いが、在宅医療の推進のために前向きに議論する事が若き在宅医への弔いになるのだろう。


逃げるに限る  
どんなに頑張っても上手くいかないことがある。当たり前のことだ。しかしそれが「死」に直接関わってくると時間をかけて築いたはずだった信頼関係がいとも簡単に壊れたケースを何度か経験した。在宅医療の特徴は密室性だ。密室では感情の爆発が起きやすいことは覚悟しておこう。しかし本当に「爆発」した時、在宅医療関係者はどう対応すればいいのだろうか。


僕の経験から言えることは上手くいかない時は、逃げるに限る、である。少しでも命の危険を感じたら無理しないで逃げなさい。医師や訪問看護師には常にそう言っている。あるいは主治医や担当看護師は交代したほうがいい。さらには医療機関を変えたほうがいい。外来で暴れる患者なら躊躇なく警察を呼ぶ。一昔前は毎週のように警察を呼び、朝晩、待合室を巡回してもらっていた。一度でも暴れた患者には「出入り禁止」を告げた。報復を恐れた時もあったが、何年か後に街角で機嫌よくしているその患者さんの姿を見た時に、「あれで良かったんだ」と確信した。 


優しい医師や熱心な看護師こそが危ない、と言われている。優しさや熱心さは大切だ。しかし命の危険を感じたら躊躇なく逃げるか交代していいのではないか。もちろん日本人の死生観が大きな課題なのだが、そんな口上を述べる前にプライドを捨てて逃げたほうがいい。命のほうが大切だ。
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PS)
#687_コロナ、ウクライナ~歪められた報道 長尾和宏コロナチャンネル - ニコニコ動画
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こんな考えの医者もいるんだと、興味のある方だけ、読んでください。